1971-03-02 第65回国会 参議院 予算委員会 第5号
○国務大臣(中曽根康弘君) 北京放送や、新華社でございますか、北京方面から来るそのような軍国主義の非難は、いわれなき非難であって、全く事実に相違していると思います。
○国務大臣(中曽根康弘君) 北京放送や、新華社でございますか、北京方面から来るそのような軍国主義の非難は、いわれなき非難であって、全く事実に相違していると思います。
軽装の場合はハルビンやその他北京方面にも行く、こういういわば非常に足の長い、しかもいま世界の最新戦闘爆撃機。この爆撃機を持たれたということは、私は、憲法にいう防衛の範囲を越えたものであると、かように考えるが、政府はどういうようにお考えですか。
なぜならば、きのうの評論家たちの話を聞くと、今の外務省の、いわゆるいろいろな情報をキャッチするところの費用というものは、もうおそろしく少い、昔北京方面に入れた予算だけのことが、今許されたる外交関係の出先機関に入れられておる金である、こういうことを、きのう評論家たちが三人も四人も寄って言っている。これでは何もできない。
しかし船で送った場合におきましては、これは北京方面に行くには南回りすればこれは相当な日時が必要となってくるのではないかと思います。現在のところ大体一週間ないし十日くらい通常郵便が香港経由の場合にかかっておると私ども承知しておりますが、おそらくこれが北の秦皇島あたりは行く郵便でも利用できるというようなことになれば、これが四、五日あたりは少くとも短縮されるのではないかと考えております。
があつたのでありますが、その当時天津にそれほど大量の人々をただちに収容できるような工業施設はないのでありまして、そのことの無謀をいさめまして、特殊な事情の人たちだけ帰るということを要請をせられて、大部分の人たちはおとなしくその任務におつきになつた方がいいのじやないかというふうな忠告を申し上げましたが、その直後、ほんの二、三日あとでありますが、突然の命令によりまして、強制的に全部大原、漢口、南京、北京方面
たとえば中ソ友好条約でありますか、それで日本を仮想敵国にしておるとか、あるいは北京方面から共産党指導の指令を与えておるという現在の事実は、われわれは無視することがてきないわけであります。ゆえに、ただちに中共政府と、かりにイデオロギーを超越しても、ある条約関係に入り得るかどうかという点は、他の考慮から考えて即決ができないのであります。それから台湾政権と条約関係に至る。
落陽の解放の前にあたりまして、向うに移動した衛生部隊とぼくは直接ぶつかりましたが、この部隊には日本の看護婦さんはみんな徒歩で、瀋陽からさらに南下作戰で天津、北京方面に分散されて移動されておりました。それは昭和二十三年の話でありますが、二十二年のころに至つては臨清地区にも約五十名近くの看護婦がおりまして、だんだん分散されておるような形で、その後天津にもおりました。
みんな二十三年の八月に北京方面に移動いたしました。そして私ともう一人、二人でハルピンに参りましたのですけれども、一人はハルピンに残されて、私一人帰つて来たわけであります。ハルピンには約百名ばかりの日本人の先生、看護婦、衛生兵が残つております。その中でたつた七名しか帰りませんでした。
○山田参考人 各遁竄地区から、八路軍に包囲されたというような部隊を集めまして、これも確たる数字ではありませんが、三万五千——すでに約二万という兵隊は、昭和二十三年の奉天陥落と同時に、北京方面に移動しました。